先日のスプリンクラーの投稿で、「我が家の井戸水は、豊臣秀吉ゆかりの太閤水と同じ水脈かもしれない」というお話をしました。最初は勝手な妄想ロマンのつもりだったのですが、気になって近所にある「太閤水」の井戸跡をじっくり見に行ってみたら、驚きのファクトが隠されていました。
現地にある解説によると、天正15年(1587年)、島津征伐に向かう秀吉がこの峠を越えた際、冷たい湧き水で喉を潤したのだそうです。その水の美味しさに感動した秀吉が、同行していた千利休に「この水の味、京に戻っても決して忘れるな」と言い残したという、本物のエピソードが残っていました。
さらに鳥肌が立ったのは、秀吉はその後に「箱崎宮(筥崎宮)に本陣を置いて約1ヶ月滞在した」という記述です。
実は私、以前は福岡市東区の箱崎に住んでいました。筥崎宮の境内で「秀吉が寝泊まりした」という古いお話を聞いたことがあったのですが、あの箱崎での記憶と、いま暮らしている福津の井戸跡が、「秀吉と利休が歩いた唐津街道」という1本の線でカチッと繋がったのです!
昔住んでいた街と、いま暮らしている街。
何気なく見過ごしていた近所の史跡から、何百年もの時を超えて地続きの歴史のドラマを感じることができ、なんだかとても贅沢な気持ちになりました。
利休が絶賛した名水の歴史に思いを馳せながら、明日からもトカイナカの畑仕事に励みたいと思います!
……あ、そういえば、秀吉と利休はこの美味しい太閤水を使って、前回ご紹介したあの「芦屋釜」でお湯を沸かしてお茶を点てたのかな?なんて想像すると、さらにロマンが止まらなくなります(笑)。